【OLの日】ランチに悩む
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OL「オフィスレディ」は和製英語であり、週刊誌『女性自身』が1964年に読者投票をもとに決めた造語であるという。
それ以前はなんと呼称していたかというと、オフィスガールやビジネスガール(あまり使われていなかったようだが)、ショップガールやオペレーターガール(電話交換機)などがある。いずれも社会への女性進出の際に付けられた名前が多く、たとえばガソリンの給油所で働く女性は「ガソリンガール」と言われていた。
マネキンガールという言葉もある。現代のマネキンと言えば店頭に置かれたマネキン人形をイメージすることが多いが、昭和初期では女性が衣服を着用しショウウインドウに立ってその衣服を宣伝することがあった。
『資生堂という文化装置』(和田 博文)でも百貨店に立つマネキンについての記載があるが、このマネキンガールがいざ立つと、あまりの珍しさにあっというまに人だかりになったのだという。かつて百貨店同士が美人画ポスターを貼りだしていると、やれどのモデルがいちばん美人かだとか、着物の柄はどうだとか、ポスターのなのに彼女の出生について憶測を巡らせたというから、実際の人間がディスプレイとして立っている姿は衝撃的だったに違いない。
女性の職業として「ホステス」というのもある。今ではネオン煌めく夜の街の麗しいお姉さま方をそう呼ぶが、1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)では現代で言うコンパニオンをあえて「ホステス」と呼んでいた。日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑---EXPO'70 GIRLS COLLECTION (らんぷの本)の一節を引用すると
「ひとつの国を訪問する高官、賓客から家庭に招待した友人・知人をもてなすのはホストであり、ホステスと考えられ(中略)もてなすお客に対して対面早々からコンパニオンであるというのは失礼だとされた。(略)日本が国際社会の仲間入りを果たすためにも本物のホステスを誕生させる必要があると考えられた」
このホステスになるためには採用率1.7%の難関を突破する必要があり、1年にもおよぶ研修があったという。しかし高給であり、ご存知の独特のコスチュームはいずれも大手百貨店やコシノジュンコなどファッションデザイナーのもの。最新の衣装が着られるとあってホステスになるには当時あこがれの的だったという。こんな意味があったホステスという言葉は、残念ながら東京オリンピックの際に「コンパニオン」に置き換えられてしまった。
スチュワーデスが客室乗務員になるなど、時代とともに用語が変化するには仕方ないことではあるが、なぜその言葉が生まれたのか・どんな意味があったのかは一度考えてみる必要があるのではないだろうか。
ところでイラストは文章とは全く関係がないランチを考える女性の絵である。
参考:「まぼろし万国博覧会」串間努/「広告世相史」今野信雄