巨大構造物と少女シリーズ7「HYAKUYOUBAKO」
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「俺たちはここにいるんだ」──忘れさられた百葉箱たちが塊となり巨大化し、街の空を覆っていく。やがて百葉箱は意思を持ち始め、人類に対してメッセージを放ち始める。彼らが望んだ事とは──。この夏公開、長編アニメ「HYAKUYOUBAKO」ぜひお楽しみに!(もちろん嘘です)
ちょっとこのイラストは反則だったかな、と反省してます。といいますのも、この「巨大構造物と少女シリーズ」はあくまでも実在する巨大な建物・構造物を描くためのシリーズなんですよね。まあ7枚目ともなるとネタも尽き掛けていて、この絵を思いついたときは天啓に導かれたものだと思ったのですが、もうすこし冷静になるべきでした。
ちなみにどこで思いついたかというと、子供の運動会で小学校に行ったときに、この百葉箱が中庭にポツンと建っていて、そのさまがあまりに物悲しそうだったので。資料の為に百葉箱を横から下からグラビアアイドルの写真家よろしく撮っていたのですが、よくよく考えると運動会の娘をほったらかしてこんなものを撮影していたのだから、先生や父兄から正気でないと思われたかもしれません。あっ、これは隣の奥さん、違うんです、これは資料のためなんです。
せっかくなのでこのシリーズについてもちょっと補足しておきます。
なぜ巨大なものと「少女」かというと、巨大なものを表現するためには比較するものが必要ということで、そのために描いています。その少女がなぜ制服なのかというと、決して趣味なわけではなく(いやまあ描くのは好きなんですが)、だれもが「日常」をイメージしやすいものだから。ほぼすべての人は義務教育を経ているわけで、女学生の制服というのは、日常=ありふれた風景を想起しやすいのではないかなと。
そのまったく逆で、巨大なものというのは「非日常」であって、制服少女の「日常」と画面内に同居することで、ギャップによる面白さが生じるんじゃないかなと思ってます。いやほんとですって。今適当に考えたことではないんです。全く失礼な人だな君は。いや失敬、年を取るとどうも怒りやすくなって困りますな。
本来なら百葉箱にまつわるエッセイ的なものを書ければよかったんですが、私の脳内記憶を探ってみても残念なことに百葉箱との思い出など皆無でした。ちなみに子供たちは授業でも百葉箱を使うらしく、世間で言われるようなお払い箱ではなさそうです。逆に手紙を入れてたりなんかして遊んでるそうな。というか誰宛の手紙なんだそれは。
なんだか文章が支離滅裂になってきたのでここらで切り上げたいとおもいます。