【桜の日】「桜の樹の下には」
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3月27日は桜の日であるという。
桜といえば、桜の木の下には死体が埋まっている都市伝説を生み出した「桜の樹の下には」(梶井基次郎)や、おどろおどろしい美しい鬼を描いた「桜の森の満開の下」(坂口安吾)を思い出してしまう。しかしなぜ彼らは美しく咲き誇る桜とは正反対の禍々しい小説を書いたのだろうか。私が思うに、おそらく"美しすぎる"のではないか。美しさとして完璧だからではないだろうか。
有名な話だが、日光東照宮の陽明門には逆柱といわれる一本だけ逆さになった柱がある。これは「建物は完成した瞬間から崩壊が始まる」という、あえて「完成させない」精神に基づいたものであるという。吉田兼好も徒然草第八十二段で、「なんでも綺麗にすべて揃えてしまうのは見苦しい。揃ってないほうが良い。すべて何事も完璧にしてしまうのは悪いことだ。残しておいたりそのまま置いておくほうが面白い(意訳)」と書いている。山の頂に登ってしまえばあとは下るしかないように、美しさにおいて完璧であればあとは凋落していくしかない。
古事記においても、美しいコノハナノサクヤビメと醜いイワナガヒメの両方を妻としてめとると、永遠と美しさが手に入るという話がある。梶井や坂口も、美しい桜におどろおどろしい話を掛け合わせることで、この美しさを永遠にしたかったに違いない......というのはさすがに中二病ワロスだろうか。
「幸せすぎて怖い」という感情は現代でも感じることはあると思うが、もしかすると我々には「不完全こそ良い」という共通認識が眠っているのかもしれない。なのでこのイラストもあえて色を塗らず不完全なのである(これが言いたかっただけ)。